【6日目 2024.5.28】
降水確率95%だったが、心配していた雨も降ったりやんだり。降っても小雨程度で助かった。
どんよりの中、出発。
このトンネルを抜けるとそこは…的な展開、異世界とか時空こえたりしたらどうしよう…とちょっと心配してしまった人間用トンネル。(今って2030年であってるよね?)
サーファー達がちらほら。
震災以降に置かれたのだろうか、異様なまでのテトラポット。
途中、いわき震災伝承みらい館へ寄る。
校外学習で来ていた中学生の団体にまぎれて、34歳も見学。中1なら13歳という事は、東日本大震災の時にはまだ生まれてなかった子もいるのかな、中2〜3であっても絶対記憶にないよなあ。みんなちょける事はなく真剣に展示物を見ながら問題用紙に答えを書いていた。
ふと自分が子供の頃はどうだったかなと考えてみる。大人になってからこういう社会見学的な場所に興味を持つようになったが、子供の頃は自分の意思とは関係なく勝手に連れてこられている感が強く、、というかあまり記憶にない。
自然災害は避けようがないけど、日頃の防災訓練や教訓、震災を知らない世代にも伝えていく事はとても大事な事だと改めて感じた。
晴れていたら最高だろうな〜と思いながら、砂浜を歩く。
きゅういちというカフェで遅めの昼ご飯。いわきの郷土料理らしい、ポーポー焼き定食。さんまのすり身ハンバーグみたいな感じでとても美味しかった!
宿へ向かう。このあたり宿が全然なくて、Googlemapで見つけた民宿に電話で問い合わせてみたら素泊まりならいいよとの事で寝床確保。
15時頃には着けると思うと連絡を入れておいたら、到着時間に合わせてお風呂を沸かしておいてくれた。
夜は持参のカレーメシで簡単飯。
【7日目 2024.5.29】
明け方大雨だったようだが、朝にはやんでいてラッキーだ。今日で歩くの最後か…と少し寂しくなりながらも出発。
三崎公園を歩く。猫。
市場、飲食店、土産屋が入っている、いわきららミュウという施設に寄ってみる。市場で大好きなホヤがあったがその場では食べれないと言われ断念。自分のお土産に赤べこマグネットを一つ買う。(赤べこは会津だけど、冷蔵庫に貼ってるのを見れば、1週間歩いた福島の記憶がすぐ思い出せるかなと思って)
市場で海鮮丼を食べるのもありかなと思ったが、近くにせっかくグルメで紹介された味世屋というラーメン屋があるようなので行ってみる。日村さんが美味しいと言ってるなら間違いない。昔ながらの醤油ラーメン。
うまー!オシャレ路線には走らずに、媚びない、無駄なトッピングはしない、結局こういうシンプルなラーメンが一番美味しいのかもしれない。最近みかける今どきのオシャレラーメン、ラーメンにオシャレは邪道だ。あれはラーメンというよりただのオシャレだ。
午後からは快晴!やっと晴れてくれたー!
サーファー、釣り人、潮干狩りしてる人など。
空がきれいだとやっぱりテンションもあがる。
黙々とゴールに向けて歩く。
勿来駅到着。電車の時間までまだ余裕があるので、勿来海岸の鳥居まで行ってみる。
無事に歩ききった〜!と思ったが、なんだか物足りない、2日目ぐらいから心配していた足の指にできた水ぶくれも最後まで耐えてくれたし、まだ歩ける、歩きたい、勿来のもう一駅先(大津港駅)は茨城県じゃないか!もうこの際なので茨城まで歩いてみることに。
徒歩での県境越えにワクワクし、看板のところで思わずジャンプをしてしまう34歳。あとで地図を見ると、県境はこの看板の手前のトンネルの中だった。なんのジャンプだったのだ。
無事、大津港駅に到着。コンビニで缶ビールを買い一人でそっと打ち上げ。
南相馬から、浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、いわきまで(+ちょっと茨城県まで)歩いてみたが、とても充実した一週間だった。
3.11から13年、福島の今をあるく。
13年たった今でも復興作業が行われていること、今でも帰還困難区域があって立入りが出来ないエリアがあり故郷に帰れない人達がいること、実際にここに来るまで全然知らなかった。実際にその土地へ行き、自分の目で見ないとわからない。
青森県の八戸〜福島県の相馬までの道、みちのく潮風トレイルの方は、歩いている人は多いのだろうか。「ふくしま浜街道トレイル」は開通したばかりのルートという事もあってか、誰ひとり歩いている人には出会わなかった。もっと福島に歩きにくる人達が増えたらいいのになあ。
いつか、みちのく潮風トレイルも歩いてみたい。
最後に超余談だが、5年前に福島で飲んだ山の井という日本酒がとても美味しく今でも忘れられないでいる。
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